ちょこっと寺子屋⑬11/21

寺子屋ごはんに関わってくださっている、地域の「寺子屋ごはんサポーター」さんに、自己紹介を書いて頂いています。今日は、山と工作が大好きな「せいちゃん」です。

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あおぞら木工で子供たちと一緒に楽しんでいる本間正士(ほんませいし)です。せいちゃんの愛称を頂きました。そういえば子供のころせっちゃんと呼ばれていたことを思い出しました。せいちゃんの方が品ありますよね。ありがとう!


26年間、成瀬台4丁目に住んでいますが、生まれは山形県鶴岡市です。藤沢周平の出身地でもあり、ユネスコ食文化創造都市として山・里・川・海に囲まれた自然豊かな土地です。8人兄弟の7番目の5男、物のない時代でもあり野球のミットも親父が古い鞄の皮で作ってくれました。兄の影響もあってか小さい頃からものつくりが好きでした。特に中学時代は飛行機に熱中し、グライダーやゴム動力のライトプレーン、エンジン付きの飛行機にのめり込みました。学生服はエンジンの燃料添加剤ニトロベンゼンの香が染みつき良い匂いだったのですが女性の友達は出来ませんでした。町の模型屋を引き込んで優勝カップや景品を出してもらい模型飛行機大会も仲間と開催したこともありました。


高校時代は、体を鍛えようと山岳部に入り近くの月山、鳥海山、朝日連峰、飯豊連峰など大きなキスリングを背負って歩きまわりました。今も登山は続いています。

大学時代はオリンピックが開催され、新幹線や東京タワーが建設された高度成長時代に入っていました。機械工学を学び大型歯車を作る工場へ就職、製鉄所の圧延機械の歯車や継ぎ手、などの設計と開発を担当しましたが、入社11年目で倒産。結婚してすぐだったので心配かけましたが仕事はいくらでもあるいい時代でした。


その後、伊勢原の会社では定年まで20数年間働き、1980年には日本で初めて鉄板を加工するレーザ装置を商品化しました。光で加工する世界は面白かったですが未知のことばかりで納入とクレーム処理で全国を飛び回り、当時は母子家庭だったと上さんに言われました。中国事業に飛ばされたり、山・谷ありましたが面白い経験をさせてもらったと思っています。逆境はチャンスだったなとつくづく思います。


2001年からは、新潟県栃尾市(現在長岡市)の山間の医療用レーザ装置を作っている小さな工場を手伝いましたが、守門岳のふもとにあり休みになれば近くの山や川を歩き回れました。冬はスキーが出来楽しい5年間でした。

10年前に仕事も終わりにしてシルクロードを旅したり、山にスキーにいろいろな仲間と交流していましたが、上さんが身近な地域で交流の輪を持てるようにと「成瀬お助けたい」のビラを持ってきてくれました。サポーターになり最初の仕事が児玉さん(たまじーじ)に見習いで草取り作業、その中で木工工作のお誘いがありました。喜んでお受けしたのが寺子屋ごはんのあおぞら木工でした。


~地域がひとつの大家族のように~ は大いに賛同しました。子供たちの熱中している姿を見ると年を忘れます。

小生80歳、寺子屋メンバーでは最高齢だと知りました。時の速さに今更ながら驚きです。でも自分が動けばいい仲間がまた増える楽しみを今感じています。徘徊と言われないように歩き回って見聞し、体力維持とボケ防止に励みたいと思います。「青春とは心の若さである 信念と希望にあふれ勇気にみちて 日に新たな活動をつづけるかぎり 青春は永遠にその人のものである(訳:松下幸之助)」皆さんと一緒に青春を謳歌したいものです。


「有難う」が飛び交う町つくりに元気をもらいながらお手伝いします。よろしくお願いします。


[せいちゃん]


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以前、ギンナン拾いを提案してくれた地域の小竹さんが、子ども達のために材料も全て準備して割り箸鉄砲工作を教えに来てくれました。作ったら、スタッフが作った的当てめがけて試し撃ち‼︎庭では自由木工、最後は紙芝居とお話しを一つずつ。そして恒例の飴ガチャ☆でさようなら。

今回もデンマークベーカリー様から天然酵母の美味しいパンのご寄付をいただきました。私も大好きな地域のコミュニティである奈良町の《街の家族》の押久保さんが訪ねて来てくださったり、地域の方が飴ちゃんを持ってきてくださったり🍬感謝です。

さて次回は12月9日金曜日。
クリスマスグッズ作りです。地域の方からリースのツルやジャンボ松ぼっくりをご寄付いただき、寺子屋ごはんサポーターの中の《ぬいものクラブ》の皆さんが飾りを作ってくださいました。数に限りはありますが、ぜひ作りに来てくださいね♪